2002.6.9.
高谷山 金昌寺(こうこくさん きんしょうじ) 曹洞宗
本尊 : 十一面観世音菩薩
真言 : おんまか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌 : あらたかに 参りて拝む観世音 二世安楽と 誰も祈らん
参拝日 平成14年3月4日(月曜日) 快晴
三番岩本山常泉寺を後回しにして車の多い県道を進みキャノン電子を左に折れ金昌寺へと向かいました。
途中左手に埼玉県が生んだ政治家・荒船清十四郎の実家がありました。古い病院か保健所跡の家の様な大きな家でした。
彼の大きなお墓も観音堂の右手にあります。立派な胸像もありました。
山門は朱ぬりの豪壮な門で、門の両側には大きな草鞋がぶら下がっています。
その脇には六地蔵が立ち並び巡礼者たちを迎えてくれます。
山門の前には「埼玉県指定文化財・秩父札所四番石仏群」の石柱が立っています。
境内には約1300体の地蔵、観音、羅漢、不動などの石仏が立ち並んでいます。
山門を入るとすぐに石段となり早速、両側に石仏達が迎えてくれます。
山門の楼上には、西国三十三ヶ所の観音様が安置されています。
石段を登りきると右側にユーモラスな禁酒地蔵がありました。
樽の上にどっしりと座って、手には徳利を持ち、頭には笠のかわりに大きな盃をかぶって微笑んでいます。
禁酒地蔵の奥には新しいお堂があり本尊の十一面観音像を石で刻んだ大きな観音像がありました。
観音様の足元には。小さな水子地蔵が置かれていました。
両側の石仏を見ながら観音堂へとのぼりました。
参道の両側に立ち並んだ一つひとつの石仏はそれぞれ顔が異なり見ていてあきる事がありません。
現存する石仏のほとんどのものが寛政年間(1789〜1800)に江戸の商人、地主、各藩の御殿女中から寄進されたものだそうです。
長い歳月、風雪にさらされながら、身を寄せ合い、頭が取れた石仏に頭の代わりに小石を置いてあるのは、なんとも痛々しく又微笑ましく感じました。
参道をのぼりきると観音堂がありました。
観音堂は四間四面の唐風で江戸中期のもので、本尊の十一面観世音は107センチ、室町時代の作で行基菩薩作と伝えられています。
観音堂前のぬれ縁の右手に子育て観音が静かに座っていました。
膝に赤ん坊を抱き、乳をふくませる優しい母親姿の石仏です。
赤ん坊が右手で乳房をにぎっている姿が可愛い、それを見つめる柔和な母親の表情が印象的でした。
蓮台には「寛政四年江戸吉野屋半左衛門」とあり亡くした妻と幼児の供養のために奉納されたものと伝えられています。
蓮台に蛙の姿が彫られていることから「ミカエル」を意味し「生きかえる」と言うことから人間再生の意味があるとも言われています。
観音堂前の境内の回りにもぎっしりと石仏が並んでいます。
参拝をすませ、納経所の椅子をお借りして納経所の方から熱いお茶と梅干のおもてなしを頂き昼食をとりました。
昼食を済ませて再び山門を出て第三番岩本山・常泉寺に向かいました。